blog 匠ブログ

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意匠(デザイン)に関するお話

1.コンテンポラリー・スタイル(モダン・スタイル)

モダンなデザインは、シンプルでありながらも機能美に満ちていて、とても清々しく気持ちのよいものです。でも一歩間違うと、非常な短命に陥り易い点に注意しなければなりません。

一例を挙げるならば、1980年代のバブル期には、『コンクリート打放し』が非常にもてはやされました。当時流行したトレンディードラマをはじめCMやニュース番組等のセットにも多用され、当然実際の住宅への応用も大流行りしました。しかし30年以上経過してみて、当時の断熱に対する知識不足とコンクリート自体の透水性等により、往年の清々しさは見る影も無く、すっかりみすぼらしくなってしまった建築物を散見するようになりました。

『時代の最先端デザイン』というものは、竣工したその瞬間が最先端なのであって、10年経過すれば単なる『10年前の流行』に成り下がってしまうのが必然です。特に現代のように流行の変遷が速い時代には、サスティナブル・ハウス(=価値の永続する住宅)の概念からは乖離していく一方です。この点を充分踏まえた上でデザインする必要があります。

さらに、建築現場の周辺環境との調和に関しても留意と配慮が必要です。過度に前衛的な建築物の出現により、周辺環境との違和を惹起してしまい、ストリート・スケープをはじめ住宅街そのものの資産価値の下落を招いてしまうことも起こり得るからです。

2.トラディショナル・スタイル(クラッシック・スタイル)

コンテンポラリーに比べ無難であるといえるだけでなく、トラッドにこだわったデザインは、古くなればなる程、重厚感と温もりを醸し出すようになり、結果として資産価値の永続性に長ずることになります。まさにサスティナブル・ハウスを具現化し易いのがトラッドです。

ただし、内装や生活スタイルに至るまでの懐古趣味を推奨している訳ではありませんので誤解なきよう。あくまでも外装デザインに関するお話です。

欧米では100年以上経過した家々が歴史的な街並を形成している風景に往々にして遭遇します。しかし意外なことに、内装は驚く程コンテンポラリーにリノベイションして活用している例が多々あります。

最近、日本でも函館市が、住宅の外装に関する規定を制定し、住宅街の醸成に意欲的に取り組んでいます。この規定により明治・大正期に建てられた見事な和洋折衷様式の洋館群が、今後も保存されることになりました。当時のデザインが、すっかり歴史ある街並を形成していることを尊重し、観光資源としても高く評価したあらわれです。

政府が『長期優良住宅制度』を施行したことからも推測出来るように、こういった流れは今後一層加速するであろうと思われます。つまり、30年程度で次々に建て替える時代は終り、これからはデザインも永く愛せるものが求められることでしょう。皮肉な事に、トラディショナルなデザインが、流行の最先端を担うことになるかもしれません。


デザイナー 小野清一郎 2012年2月1日


隠蔽配管のお勧め

仕事柄、海外の建築家と会話する機会が多いのですが、

「なぜ日本の建築は、露出配管なのか?」

と質問されることがしばしばあります。
露出配管とは、建物の外壁に沿ってエアコン等の配管を、文字どおり露出した状態で設置することです。

これに対し、配管部分を壁の内部に隠して設置することを隠蔽配管といいます。海外でも、あとからインフラが整備されたために、既存建築物では露出配管をせざるを得ないケースもありますが、新築では自由に設計できるので、わざわざ目障りで醜悪な配管類を人目にさらすようなことなどありません。

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しかしこの日本では、新築でさえもいまだに露出配管が当然のような状況です(事例1)。
私は、こういった設計を見るたびに設計者の怠慢さを強く感じます。一体何のために設計を行なっているか?と問いたい衝動に強く駆られます。こういった無神経な設計が、日本の景観を醜いだけではなく、非常に貧相なものにしていることに気がつかないのでしょうか(事例2)。

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特にエアコンの露出配管では酷いものが多く見られます。窓をよけるためにカクカク屈曲してようやく室外機に辿り着いた様子が外壁にしっかりと暴露されていたり(事例3)、酷い場合にはファサード(建物の正面)であるにもかかわらず、複数の部屋からでてきた配管が一斉に何本も外壁の上を這いずり回っていたり・・・(事例4)。

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折角新築するのですから配管経路も最初から設計に盛り込んでおくべきです。清潔ですっきりとした外観の建物は、それ自体の資産価値を高めるだけでなく、周辺環境を美化することにつながり、地域の資産価値向上にも寄与します。
隠蔽配管は、街を美しくする大切なファクターなのです。


デザイナー 小野清一郎 2012年4月1日


開口部の位置と大きさに関して(その1)

デザインをする際、私は開口部(扉や窓)の位置とサイズに非常にこだわります。そのため、間取りよりも、先ずはファサード(建物の正面)から必ずデザインしています。

仮に扉1枚と窓3枚を例にして比較してみましょう。下の例で最も美しいデザインはどれでしょうか?

開口部デザイン

四者とも玄関扉の位置と大きさは同じですが、Aは、窓の位置とサイズが共にバラバラです。Bは、窓のサイ ズは統一されていますが、位置がバラバラです。逆にCは、窓の位置には一定の規則があるものの、大きさがまちまちです。最後のDは、窓のサイズを揃え、水 平方向の位置も一定の規則性を保っていて、なおかつ扉の高さに一致させて垂直方向が規定されています。

いかがですか? 非常に基本的なことですが、印象は随分異なりますね。

設計をする際、間取り、つまり家の内側からデザインすると、往々にして窓の位置や大きさが必然的に決まってしまい、外から観察するとAからCのように不調和をきたしがちです。

しかし、Dのように開口部にある一定の秩序を与えると、デザイン全体にリズム感や清潔感が生まれるだけで なく、『家相の良さ』すら感じられるようになります。表通りに面したファサードだけは最初にデザインを決定することが非常に重要なことが、御理解いただけ るのではないでしょうか。

日本の設計士は間取り優先で設計することが多いのですが、欧米のデザイナーは必ずファサードからデザインし、そこで決定された開口部に合わせて部屋割りし、後追いで間取りを決めていきます。

家の内側からと外側からとでは、設計の方向性が全く逆だと言えます。彼等がファサードのデザインを最優先 する理由は、それがいかに資産価値のサスティナビリティ(永続性)に影響を与えるか、ということを充分に理解し、周知徹底されているからです。もし、Aか らDの家が同時に販売されたなら、どの家が最初に売れるでしょうか?言い換えるならば、どの家が最も市場受けが良いでしょうか、ということです。結果は新 築の場合だけでなく、中古住宅としての再販時においてもかわりません。これが『資産価値のサスティナビリティ』の本質なのです。


デザイナー 小野清一郎 2012年5月1日


開口部の位置と大きさに関して(その2)

前回、開口部の位置と大きさが建築物の資産価値に与える影響について言及しましたが、今回はさらに住宅街での近隣住区への影響について拡大して考えてみましょう。

次の図はそれぞれの家が無秩序な開口部で設計されています。

開口部デザイン

日本に住む私達にはすっかり見慣れてしまった光景ですし、上記のモデルでは全て建物の外形が同一なので、 スカイラインが整然としています。このためさほど違和感を感じない方もいるかもしれません。しかし実際には、屋根の形や色や仕上げ、壁の大きさや色や仕上 げ等々、多くの要素の違いから、この街並は非常に雑然として混沌とした状況を呈していることでしょう。

でも、もしそれぞれの家が開口部の位置と大きさに配慮してデザインされているならば、下図のようにかなりスッキリとして、統一感のあるストリート・スケープを形成することができます。

開口部デザイン2

上のそれぞれの家は、玄関の位置が異なり、間取りは全て異なるケースを想定しています。開発業者による大 規模開発ではなくても、地域で建築協定等を作り、しっかり管理していくと具現化することができます。こういった街並は、古くなっても人々を魅了し続け、需 要が持続します。美しい街には誰もが住んでみたいと思うものです。こうして、住宅街一帯にも資産価値の差が生じることになります。

最後に、「これではどの家もみな同じで、個性がないではないか。」と懸念される方に、とても有名な事例を 紹介します。サンフランシスコのアラモ・スクエアという一角には、実に個性的なビクトリアン・ハウス7棟が軒を連ねています。どの家も際立つ個性を主張し ながらも、開口部の秩序を守ることで、統一感と一体感、そしてなによりも世界中の人々を魅了し続ける美しいストリート・スケープを形成しています。当然、 100年経とうとも、住みたくとも住めない程の人気と価値がそこには永続しているのです。

アラモ・スクエア


デザイナー 小野清一郎 2012年6月1日


扉の組合せ

扉には開き方により大きく分けて、『開き戸』と『引き戸』の2種類があります。

開き戸は、外開きか内開きか、取手が右にあるか左にあるかで、合計4通りの選択肢があります。

開き戸

特殊な例を除き引き戸の方も、扉が外側にあるか内側にあるか、右に開くか左に開くかで、やはり合計4通りの選択肢があります。

引き戸

つまり扉1か所につき合計8通りの選択肢があり、仮に1軒の家で玄関や勝手口を含め10か所の扉を使用す るならば、8の10乗=1,073,741,824と、なんと10億通り以上の組合せが考えられます。理論値とはいえ、そのバリエーションの多さは驚嘆に 値します。この10億通りの中から家族構成、生活習慣、動線の効率などなど、様々な要因を検討して、最適と思われるたった1つのパターンを選択しなければ なりません。まさに設計者のセンスと知識と経験が問われる、とても責任重大な作業といえます。

扉1枚でも、何気なく配置するのではなく、『意匠・機能・性能』をとことん追求した選択が要求されるのです。


デザイナー 小野清一郎 2012年7月1日


意匠・機能・性能

前号で『意匠・機能・性能』という言葉を用いました。建築だけでなく一般に生産品を評価するときの基準が、この3つの要素です。

意匠とは、いわゆるデザインのことですが、本来デザインとは、広義にはこれら3要素の全てを包括的に設計 することを意味するので、この場合は狭義のデザインということになります。意匠は審美性にかかわる芸術的な要素だけでなく、歴史学的な要素も兼ね備えた人 文科学的なものです。

二つ目の機能とは、雨風を凌ぐ快適な空間を提供するといった、住宅に求められる基本的なことから、間取りや収納の配置など、生活の利便性に直接かかわってくることなどを意味し、社会科学的なものです。

そして三つ目の性能とは、耐久性、耐震性、防火性、断熱性などなど、客観的数値で評価することができる非常に自然科学的なものです。(平成12年に施行された『住宅品質の確保促進に関する法律(品確法)』は、この要素を高めることが目的の法律です。)

このようにこれらの三要素は、人類が生んだ学問の三体系と密接に関係しているのですが、そのなかでも建築物において最も重要なものはどれでしょうか?

答えは一つ目の意匠だと、私は考えています。意外に思われるかもしれません。3つの要素が高次元にバランスした建築物が、最も理想的なものに決まっているからです。

ところが、いざ家を建てるとなると、現実はそう理想どおりうまくいきません。なぜかというと、機能と性能 は、予算の制約を受けるからです。ある予算の範囲で家を建てるとすると、床面積や間取り、工法や建材など、機能と性能は必然的にある程度のレンジに絞り込 まれ、その中から選択せざるをえません。しかし、意匠の決定だけは常に白紙からスタートでき、自由に展開させることができます。

さらに、機能と性能はリノベーションすることにより、後々でも改善することが可能ですが、意匠だけは変更 することが難しく、一度建てられれば、取り壊されるまでその姿を社会に曝し続けることになります。前号まで、扉や窓の開口部が意匠を決定付ける、と説明し てきましたが、その開口部をリノベーションにより改善することは、他の二要素の改善に比べ非常に困難なのです。私がデザイナーとして意匠にこだわり続けて いるのは、「資産価値としてのサスティナビリティーは、意匠にあり」と確信しているからです。

あなたの家族にぴったりの間取り(機能)で、しかも高気密・高断熱、バリアフリー(性能)。でも外観は、 前オーナーのこだわりが表れ過ぎて周辺環境に異質(意匠)な中古住宅A。一方、現代の建築に匹敵する性能なんて全く期待できないけれども、グラバー邸のよ うにその街の風景にすっかり溶け込んでいるような中古住宅B。どちらも同じ価格で販売されていたとしたら、あなたはどちらを購入したいと思いますか?


デザイナー 小野清一郎 2012年8月1日


天井高

最近の小型自動車は、背の高いものが多くなりました。特に軽自動車では、高さ方向に寸法が拡大されると、車内の広さが格段 に向上することが実感できます。しかし、人間の目は横に並んでいるので、視覚は本来、横方向に比べ縦方向には鈍感なはずです。このことから、空間感覚は視 覚だけで決まるのではない、ということが理解できます。

人間は、頭部と物体との距離で空間を把握しています。それは、最も重要な器官である脳に損傷を受けないよう、外部の物質に絶えず鋭敏に気を配っていなけ ればならないからです。頭と天井との距離が短いと圧迫感や狭小感を感じ、逆に長いと開放感や安心感を得るのは、このような理由によります。 また、「部屋が狭い」ことを「息が詰まるようだ」と表現することがありますが、狭い部屋は、その容積が小さいので当然『気積(空気の体積)』も小さく、現代の高気密な住宅では、実際すぐに息が詰まってしまいます。

建築の設計段階では、平面図を用いて打ち合わせることが多く、お施主様は大抵、6畳間、8畳間といった床面積でおおよその広さをイメージしています。しか し上記のように、高さ方向、すなわち天井高が変ると、同じ6畳間でも随分と感じる広さが異なることを忘れてはいけません。

建築基準法では、居室の天井高は最低2.1mと規定されていますが、この法律は昭和25年(1950年)に施行されたものです。最低基準が2.1mで あっても、昔から日本の住宅の標準的天井高は8尺で、約2.4mでした。現代の標準的な天井高は、戸建てもマンションも大抵2.4mですから、日本の家の 天井高は、何世紀も全く変っていないといえます。

ところで下の表は、日本人の平均身長の推移を表したものです。

1950年当時は、男性が約160cm、女性が約149cmでした。しかし2007年には、男性が約 171cm、女性が約158cmと、57年間にそれぞれ10cm程度伸びています。ということは、室内で立ったときや歩いたときを考えると、身長が 10cm伸びた分、天井を10cm上げなければ、昭和25年当時の人々と比較し、相対的に天井が10cm下がった家で現代人は生活しているということにな ります。逆にいえば、当時の人々は、現代の住宅よりも天井が高く、圧迫感のない住宅で生活していたということです。

そしてさらに考慮しなければならないのは、当時から現代では生活習慣が全く変化してしまったということです。家の中では 立ったり歩いたりする時間より、座ったり、寝ている時間の方が遥かに長いのですが、昭和25年頃はまだ畳や床の上に直に座ったり、布団を敷いて寝ていたの に対し、現代の生活は椅子とベッドを使用する生活にすっかり変わってしまいました。それらを使用している時の頭部の位置は、当時から比べかなり高い位置に あるといえます。椅子もベッドもその高さは40cm程度あり、身長とともに座高も伸びていることを考えれば、随分と頭が天井に近い位置で生活しているので す。ですから私は、現代住宅の具備すべき条件として、天井高は最低2.7m必要だと主張しています。そして、できれば3m以上の天井高を推奨しています。 2.7mの天井高でも、世界中から『兎小屋』と揶揄された終戦直後の生活空間に、やっと追いついた程度だからです。


デザイナー 小野清一郎 2012年9月1日


間取り

前回は、天井高が部屋の広さ感に及ぼす影響について述べましたが、部屋の面積自体も大切なのはいうまでもありません。アメリカのように土地が広く、建坪や延べ床面積に余裕があるわけではないので、狭小な立地条件でも、いかに各部屋を広く取れるかは大きな課題です。

そこで、家のイメージを想像する際に、最初によく考えていただきたいことがあります。それは、

我が家にとって、本当にこれだけの部屋数が必要だろうか?

という命題です。

同じ延べ床面積では、部屋数が少ない程、各部屋の面積はゆったりと設計できるので、あれもこれもと希望せず、本当に必要な部屋だけに絞り込むことが肝心です。特に、子供部屋と客間に検討の余地があるケースが多い気がします。

「折角の新築だから、子供達にはそれぞれの個室を与えよう。」という親心はよく解るのですが、お子さん達は、兄弟で1つの 部屋でも案外楽しそうに暮らし、のびのびと育っていくものです。そして、高校を卒業したあたりから、自立し巣立っていくこともあるでしょう。子供達が皆巣 立ってしまい、夫婦二人で生活している世帯を、英語ではEmpty Nesters(エンプティ・ネスターズ:空っぽの巣に住む人々)と呼びます。将来、エンプティ・ネスターズになることも想定してプランしてみると、複数 の子供部屋を共用化して部屋数を減らし、その分それぞれの部屋を広々と利用できるようになります。

客間にしても、日本家屋では来客の応接と宿泊用に用意されたりすることがありますが、欧米では、年に数回の利用のために部 屋を一つ用意しておくような、空間の無駄遣いはしません。海外のドラマなどで、居間のソファベッドで偶然の来客に対応しているのを目にしたことはありませ んか。また、巣立った子供の部屋に来客を泊まらせ、家具ごと一式利用させることもよくある光景です。

是非、「マイナス1部屋」を御一考ください。


デザイナー 小野清一郎 2012年10月1日


扉の高さ

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室内の天井高について以前書きましたが、今月は扉の高さについてお伝えしたいと思います。私は従前より、現代の住宅には 3m以上の天井高が望ましい、という主張を繰り返してきました。そしてその天井高に見合う扉には高さが2.4m必要です。一昔前の日本の扉は6尺高(約 1.8m)が標準でした。昭和に建設された公団住宅等ではその名残が今でも観察できます。

日本人の男性の平均身長が既に170cmを超えていますので、これでは生活自体に支障を来します。そこで、公団の規格は2mに変更され現在に至っています。

欧米でも2mの扉をよく見ます。弊社が扱うアメリカの扉も6フィート8インチ(6’8”=2032mm)高のものが主流で した。過去形で述べたのは、丁度公団の6尺高のように、欧米では既に2m(6’8”)高の扉が時代遅れになりつつあるからです。最近の建材ショーやシアト ルの『Street of Dreams』等のショーケースを観察すると、欧米のこれからの主流が2.4m(8’0”)高であることが容易に想像できます。

この動き、実は最近の日本でも見られるようになってきました。建材メーカーが各社2.4m高の扉を発表し、好調な売れ行きです。

2mの扉と2.4mの扉とではさほど大きな価格差はありませんが、その開放感と高級感は驚く程違います。天井高の号で書いたとおり、人間は物体と頭部との距離に非常に敏感だからです。扉が高い分、扉上の下がり壁が頭部から遠ざかるので、実に気持ちのよい空間が感覚できます。


デザイナー 小野清一郎 2012年11月1日


資産価値としての住宅

日本と欧米の住宅事情を比較すると、前者がスクラップ&ビルドを繰り返し、絶えず新築が求められるのに対し、後者では全く 逆で、古い建物ほどアンティークのように高い評価を受ける傾向にあります。アメリカでは、木造でも築50~60年の家なんて当たり前のように立ち並んでい ます。そして信じられないことですが、まだ「新しい家」として取引されています。100年経って、初めて「古い家」として認められるようです。「新しい 家」は、純粋な新築の家よりも高値で取引されているのが、現地の不動産売買の実態で、100年を超えた「古い家」は、さらにとてつもない高値がつき、庶民 にはとても手が出ない物件だったりします。

日本で昭和30年代に建てられた家は、果たして現在どのような状況でしょうか?

そこには悲しい現実があります。自動車に厳しい車検制度を設け、新車への買換えを促すの と同じように、住宅も減価償却させることで簿価を下げてしまい、中古住宅としての再販性を損ねて、取壊しと新築を促す。こうして日本は、住宅を「消費財」 扱いして内需の維持・拡大を図ることで、経済的に依存してきたのではないでしょうか。

もし日本の住宅が全て100年間維持されていれば、多くの国民は、親の世代が家を建て、子の世代は別荘を購入し、そして孫の世代はヨットやクルーザーを所有することができたはずです。まさにこうした資産の継承と人生の楽しみ方を、欧米の人々は実行しています。

「30年住めればよいから。」などと控えめに考えず、100年間維持でき、孫の代まで堂々と継承できるような家を建ててみてはいかがでしょうか。

上の画像は、横浜市山手町の『ブラフ18番館』です。大正末期、関東大震災後に建てら れた、外国人向けの一般住宅とされていますが、実は震災で被災した家屋の部材が利用されていることが発見され、震災前から建っていた建物の半壊部を修復し て使われ続けていたことが判明しました。最初の(オリジナルの)家がいつ竣工したかは記録がなく、いまだに不明ですが、少なくとも震災当日の1923年9 月1日以前であることに間違いはありません。横浜市により平成5年に現在地に移築されたので、その際と震災直後と、大規模な修繕をこれまでに二回受けたこ とになります。横浜市民にとり極めて幸運だったのは、歴代のオーナーが住宅を大切に扱う外国人だったことにほかなりません。どんなに古くなっても取り壊さ れず、修繕して利用し続けられてきた歴史が、市民にとって何ものにも代え難い大きな資産価値として継承されたのです。ブラフ18番館は、100年近く経て も、いまだに現役の家として立派に港町横浜・山手の風景の一部に溶け込んでいます。(※現在は『横浜市緑の協会』が管理し、一般公開されています。)


デザイナー 小野清一郎 2012年12月1日


エベネッザ・ハワードの田園都市構想

近代的な住宅地開発計画を最初に提唱したのが、英国人のエベネッザ・ハワード(1850−1928)です。

産業革命により19世紀の英国では、都市部の過密化と農村の過疎化が急速に進行し、多くの社会問題が露呈していました。 そこでハワードは、両者の融合を図った独自の都市構想を『Garden City(田園都市)構想』と呼び、1902年に『Garden City of Tomorrow=明日の田園都市/長 素連訳(鹿島出版会)』という書として発表し、世界中にセンセーションを与えました。

ハワードが描いた理想郷は、100年経た現代でも十分通用する合理的で機能的な都市構造で、自然や緑をふんだんに人々の日々の生活へ導入するものです。

この『田園都市構想』は、パートナーであるレイモンド・アンウィンらとともに、実際に ロンドン郊外のレッチワースからハムステッドに至る地帯に応用されました。現在この地域は、開発当初からの植栽が豊かに生育することで醸成され、ロンドン 市民憧れの高級住宅街として畏敬を抱かれています。

日本でも、渋沢栄一・秀雄父子らが、この思想に基づいて洗足田園都市や田園調布等を相次いで開発しました。しかし残念ながら、これらの『和製田園都市』は、当初から本場の『田園都市』とは似て非なる代物でした。一体何が問題だったのでしょうか。来月へ続きます。


デザイナー 小野清一郎 2013年1月14日


日本の田園都市構想におけるつまづき

1月号の続きです。エベネッザ・ハワードの提唱した田園都市構想を、日本に導入し近代日本の住宅地開発に大きく貢献したのが渋沢栄一(1840−1931)です。

彼はハワードの提言どおり、『田園都市株式会社』を設立し、田園調布などの住宅街を開発していきました。右の画像は、田園 調布の当時の開発図ですが、ハワードの著作『明日の田園都市』から大きな影響を受けていることが伺い知れます。田園都市株式会社は、現在の東急電鉄・東急 不動産の前身で、この会社の経営方針には渋沢の資本主義理念が反映されたことが、ハワードの構想と大きな違いを生むことになります。

ハワードは、『田園都市株式会社』に不動産開発会社としての機能と、開発した住宅街をそのまま保有して管理し続ける、管理会社としての機能の両方を備え ることを提言しました。つまり住民が、『田園都市株式会社』から購買するのは借地権で、毎年地代を収める『リースホールド』と呼ばれる契約関係を締結する ことを前提としたのです。英国ではこのリースホールドがいまだに主流です。
これに対し渋沢は、『田園都市株式会社』に開発会社に特化した機能しか与えず、各区の所有権ごと販売して売り切ってしまいました。日本人は土地を所有する ことに執着する傾向にあるので、通常の不動産販売として処理してしまったのです。長期借地権である『リースホールド』に対し、所有権を『フリーホールド』 と称します。

リースホールドでは、地主である『田園都市株式会社』が、優れた景観を維持するためにさまざまな規制を実施することが容易ですが、フリーホールドでは個 人の所有権が障壁となり、総合的な景観維持が困難になります。日本の住宅地が英国と比べ、雑然とし、統一感に欠けるのは、このためであると断言できます。 英国の住宅地が借地なのは、そもそも国家は王家や政府のものだという意識が根強く残っているからです。

では、アメリカはどうでしょうか?アメリカは断然日本と同様、フリーホールドが主流です。しかしながら、アメリカと日本の住宅街では、美しさの点では天と地程の差がある気がします。それは一体何故でしょうか・・・。
来月号はアメリカの住宅街について述べたいと思います。


デザイナー 小野清一郎 2013年2月1日